生きづらくても生き続ける~バリキャリとゆるふわのハザマ~

ADHD(グレーゾーン)、HSP(HSS型)、遅延性フードアレルギーに苦しむ27歳こじらせ女子がもがきながらライフハックを提案する場

<高学歴女子の就活>総合職vs一般職、女性総合職を選んだ私が語るリアル

 高学歴一般職女子、が増えている。

早慶を出ていても、いわゆる事務職と呼ばれる一般職についている。

学歴がもったいない!と思われるかもしれないが、彼女達からしたらそれも人生戦略の一つであるらしい。

 

中途半端に総合職として就職し激務で疲弊するよりは、

学歴を使って事務処理能力が高いことをアピールし、大企業の一般職になって、

総合職ほど高い給料でなくともそこそこ高い給料をもらいながら定時で退社し、

独身時代はアフター5を謳歌、結婚・出産してからは家族に時間を使いながらも長く勤めるほうが、コスパが高い」というのである。

 

翻って、総合職女子である私の社会人生活を思い返してみると、確かにつらいことが多かった。

 

まず圧倒的な業務量。深夜までの残業も多く、終電に駆け込むこともしばしば。

その業務の中には一般職もできるような定型業務もあったから、頼もうと思ったが断わられる。どうしても5時に帰りたいらしい。

ついでにいうと、一般職に負担をかけるな、ということで一般職に嫌われたくない総合職の先輩にも怒られる。いやこれは意味不明。

 

お客さんとの会食の時は、女性がいた方が盛り上がるからと声がよくかかった。

マイノリティとしてそれはありがたいことだから、その期待に応えるべく、飲みまくる。

お前ほんとモテないなーというような、上司やお客さんからのセクハラも多いが、気にしてはいけない。

その一方で一般職女子たちは定時に帰り、アフター5を謳歌している。

会社の飲み会でも「可愛い女の子」としてちやほやされる。

 

 

新人のときは、なんで、こんなに私損しているだろう、と思っていた。

頑張っても頑張ってもむしろ自分を削っているようにしか感じなかった。

 

同期男子が、同期一般職女子を囲んでちやほやしているのを見ると胸糞悪くなるから、同期会にも行きたくなかった。

 

こんなに損するなら頑張って勉強して、高学歴をつけた意味もなかったな、と思った。

適当な大学にいって、一般職になって、条件のいい同期総合職と結婚して、形だけの共働きになったほうがよかったと思った。 

 

しかし、社会人を4年やってきて、徐々に私の心境は変化するようになった。

 

断わっておくと、裁量が多くなって仕事が面白くなった!というようなポジティブバリキャリ人間に変化したわけではない。

なんなら、今でも仕事は嫌いだし、なるべくやりたくない。

それでも、一般職でなく、総合職として働いてきてよかった、と今では本当に思う。

 

前置きが長くなったが、就活に際して、総合職か一般職で迷っている女子も多いだろうから、そのリアルを就活生に向けに書いてみたい。

 

 

一般職には基本的にスキルアップはない

これ、意外とわかっていない学生が多いように思う。

もちろん、就活の採用説明会では、一般職にもスキルアップだったり研修制度があるように説明される。

まあ、会社によるが、基本的にスキルアップはないと思っていい。

毎日が定型業務の繰り返し。今の時代はもうお茶くみなんて制度はないだろうが

コピー取り、伝票の書き出し、交通費精算等、ルーティーンワークが多い。

 

「難しい仕事はやりたくないから、スキルアップなんて興味ない、定型業務だけこなす方が得意」

という人もいるかもしれない。

 

もちろん、能力的に定型業務だけでいっぱいいっぱいな人もいるだろうし、そのような地味な作業が好きだという人もいるだろうから、そういう人を否定するわけでは全くない。

 

しかし、ある程度の大学を出て、それなりに頭を使うことに慣れている人が、そんな生活に耐えられるだろうか。

仕事は決して人生のすべてではないが、それでも最低1日8時間×週5日はこなさなければいけないものなのだ。

「脳みそが腐る」状況に陥る可能性が高い。

 

現に、3-4年目になり、仕事に飽きてしまって、かといってプライベートを充実させるほどの趣味もないので、辞めたい、と言い始める同期の一般職女子も多い。

しかし、それまでやってきた業務は、「スキル」として転職市場で評価されないので、時間がたてばたつほど転職は難しくなる。

 

女扱いされないのは、仲間意識の証拠

幼かった私は、総合職女子というだけで女扱いされないことに不満を抱いていたが

同期だった夫に、

 

「一般職に、思考停止にちやほやするのは簡単で話の通じないどうでもいいやつだと思っているからだよ。女扱いされないのは、仲間だと思われている証拠だよ」

 

と言われてから考え方が変わった。

そのような観点で、周りを見てみると確かにそうであった。

 

男性総合職の先輩たちは、決して彼女たちのことを本当に評価しているから

媚びているわけではない。

話が通じないし、仕事もふれない、しかし、関係を悪化させるのも面倒くさいので

適当に口先だけで媚びへつらっているだけだ。

 

口先だけで、お世辞を言われるより、一対一で飲みに連れて行ってもらって

「今の彼氏と結婚の予定はあるのか」

コンプラ的にはすれすれの質問を受けながらも

「でも、お前も頑張ってるから、やめないようにな、何かあったらいつでも相談乗るから」

と言ってくれる方が、人間関係的にはずっと健全だ。

 

同期でも入社3年目くらいから、一般職とは気が合わない、と言って総合職だけでの飲み会が多くなった。

久々に行ってみたら、お互いの考えていることや仕事の相談ができて、楽しかった。

やっぱり「仲間」だと再認識できた。

 

「仲間」が多くなるのはうれしい。

 

それが男性だったり、普段別の会社で働いていたりと、自分とは異なるバックグラウンドを持っていれば余計に世界が広がる。

 

私は仕事があまり好きじゃないけれど、そういうちょっとした世界の広がりの体験が、続けるモチベーションになっているのかもしれない。

 

結婚後、出産後のことは、その時になってから考えろ

とはいえ、結婚したら残業、飲み会の多い仕事なんて続けてらんないでしょ~と一般職を望む人も多い。

 

私は結婚しているものの、出産は経験していないので、わからないことも多いが、確かにその通りで今の勤務体系では働けないだろうと思う。(現にそれで転職も考えている)

 

しかし、それは実際にそれが実現しそうになった時に考えろ、と言いたい。

実際、私の友人で東大卒だけれど、地方勤務の旦那と結婚して、そこで一般職に切り替えて転職した友人もいる。

 

総合職→一般職の切り替えのハードルは低い。

一方で一般職→総合職のハードルは高い。

 

とりあえず最初は総合職で頑張ってみて、子どもができた、とかで続けるのが難しくなったら、一般職に転職しちゃえばいいのだ。

 

それなら、総合職になればよかったとか、仕事が暇でストレス、というような不健全な悩みを持つことなく、自分で選んだ選択としてドライに働き続けられるだろう。

 

結婚は総合職でもできる

世間では、

 

一般職→女子力高くてモテる、

総合職→忙しすぎて疲弊してモテない、

 

という構図を作りたがるが、結婚は総合職でもできる。

というか、総合職のほうが結婚している印象がある。

 

私は26歳だが、現状同期で一般職女子の結婚が1/4に留まっているのに対し、総合職女子の約半数が結婚した。

 

もちろん、合コンに行ってウケがいいかと言われれば微妙な総合職女子ではあるが、

会社、という組織の中で、うまく適応せざるを得ない総合職女子の方が

柔軟性が高くキャパもあって、長期間での関係性構築の必要のある「結婚」には向いているのかもしれない。

 

また総合職になって、結婚できずに家族がいなかったとしても、仕事が生きがいになっていれば、そのような人生を謳歌することもできるが、

結婚、出産のため、と守りに入って、一般職就職したにも関わらず、結婚できなかった人も多い。

その人は、仕事、家庭以外の別の場所で生きがいを見つけなければならない。

そういう人生を決して否定はしないけれど、「一人で生きる力」がより必要になってくることは確かである。

そんな生き方を自分が引き受けることができるのか、よく考えてほしい。

 

 

以上、つらつらと総合職をすすめる理由を書いてきたが、最後は本人の選択であるから、一般職を選ぶことが間違い、とは言わないけれど、

就職したあとで、こんなだと思わなかった!と後悔しないように選択をしてほしい。

 

以下に、女性就活についての本を紹介する。

私が社会人になってから手に取った本だが、学生時代に読んでおけばよかった!ということが結構書かれていたので、ぜひ参考にしてほしい。

 

 

 

専業主婦は2億円損をする

専業主婦は2億円損をする

 

 

低用量ピルを飲み始めたので、メリット・デメリットをセキララにレビューする

 

PMSがやべえ

思春期に生理が始まってから、PMS月経前症候群)がひどい人生だった。

女性の方々は理解してくれるだろうが、症状としては、こんな感じ↓である。

 

・わけもなくイライラする

・わけもなく泣きたくなる、そして泣く、もやは嗚咽

・甘いもの食べたい欲求→食べた後の罪悪感、絶望感、胃もたれ

・鼻周りのニキビの増加

 

生理が始まってしまえば、何だったんだ、あの症状、という感じでけろっと治るのだが

生理前は死ぬほどつらい。

抑うつ状態になって、涙が止まらなくなるし、死にたくなる。

メンタルの具合によっては、会社にいけないほどである。

 

人間余裕がなくなると、弱いもので、生理前には

 

あーもう女やめたい。男性陣はこのつらさがわかんない分、早死にしろ!

 

みたいな、過激な暴言を夫に吐く始末。(夫、ごめん)

 

 

毎月ホルモンの具合によって、メンタルが振り回されるのはくだらないことこの上ないし、周りにも迷惑をかける…このままじゃやべえ、と思っていたところ、

同じくPMSに悩む友人に低用量ピルをすすめられた。

 

え、ピルってヤリマンがよく飲む避妊薬じゃないの!?

 

と失礼ながら変な偏見を持っていたが、とにかくその友人がプッシュしてくるので

半信半疑飲み始めることにした。

 

結果現在4シート目が終わるころだが、体も慣れてきて段々とメリット、デメリットがわかってきたので、レビューしたい。

 

ちなみに、私が飲んだのは、ヤーズというピルの中でも副作用の少ないものである。

 

 

まずはメリットから

  • メリット①:気分落ち込みの解消

以前は生理の1週間くらい前から落ち込みがひどく、体も動かなかったので、

あぁもうそろそろ生理なのだわ…とそれだけでブルーになっていたのだが…

 

今はピルのシートを見たら、あれ生理まであと3日…!気分もいいし、全然気づかなかった、という感じ。

 

素晴らしき哉、人生。

 

抑うつ状態にならない生理1週間前はこんなに輝いていたのね♡と、踊りだしたくなる気分。

 

私の気分がいいせいか、夫もなんだかうれしそう…すまん、夫よ、そんなに迷惑かけていたとは。

 

  • メリット②:肌荒れ解消

生理前になるとお決まりにできていたぼこっとしたニキビ。

飲み始めた月から、できなくなった。

肌が汚いだけでメイクのりも悪くなるし、さらに気分が落ち込んでいたところだったので、

これがなくなったのはかなりのメリット!!

自分の肌を見てテンションあがったのは何年ぶりだろう…!

 

  • メリット③:性欲減退

これは人によってメリット、デメリットが分かれるところだろうか。

 

下世話な話で恐縮だが、私の場合、夫との性欲差がかなりあり、私の方が性欲が強いためにセックスに乗り気でない夫とかなり衝突も多かった。

 

だけど、ピルを飲み始めて以降、性欲が弱くなった。

メンタルが安定すると、性欲も安定するのか…!!

 

結果、夫とのセックスが少なくても全然平気だし、かえって夫の日々のちょっとした気遣いやスキンシップこそが夫婦の愛情だと、気づくことができた。

 

自分ちょっと性欲強すぎて変なのかも…という悶々とした悩みもなくなった。 

 

 

さて、色々持ち上げてしまったが、逆にデメリットはどんなもんなのか!?

 

  • デメリット①:毎日飲まないといけない

低用量ピルの普通の薬と違う点はシート毎に販売されていることである。生理から「●日目はこの錠剤」という風に、日によって錠剤に含まれいている成分比が異なる。

だから、毎日飲まなければならない。

飲み忘れたらその月のPMS抑制効果と避妊効果は望めない。

しかし、朝飲み忘れたら夜飲んでもセーフだし、ピルシートには曜日シールというものがついており、その日に飲んだか、飲み忘れたかが一目でわかる作りとなっているから飲み忘れることは少ない。

 

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↑上のシートの場合、生理が始まったのが木曜日なので、木曜日始まりのシールを貼っている。

 

私は自他ともに認める超うっかりテキトーADHD人間だが、飲み始めて4か月、飲み忘れたことはない。

 

朝起きたら最初に飲む!という風に何かの行動と結びつけていれば、忘れることもないだろう。

ちなみに朝飲み忘れても、夜飲めばギリギリ大丈夫とのこと。。

(避妊効果はイマイチとなってしまうらしいが…)

 

  • デメリット②:避妊効果がある→妊活中は飲めない

一般的なピルの効果として言われているのは避妊効果ではないだろうか。

コンドームより高い避妊率。

私は結婚してそろそろ妊娠したいかな、という時期になってきたのでデメリットに書いたが、今子供を望んでいない人にはむしろ大きい効果か。

 

  • デメリット③:費用がかかる

ピル費用は1シート(1か月)あたり2,000円程度。

初回は婦人科に行って自分のあったピルを教えてもらう必要がある。

病院で処方してくれるのは初回は1シート、その後定期的に通うようになっても、多くても3シートまでなので、金銭的なコストに限らず時間的なコストも相応にかかる。

 

ただ、1回体に合うピルが見つかれば、個人輸入でネットからも何シートでも購入可能なので、これも慣れれば削減できるか。

 

  • デメリット④:副作用がないとはいえない

体のホルモンバランスを変えている以上、もちろん副作用のリスクはある。

低用量ピルの場合、血管を詰まらせる副作用があり、むくみがひどくなったり、脳梗塞血栓症のリスクもわずかながら高まる。

最初は定期的に婦人科に通って慎重に飲み始めることをお勧めしたい。

 

  • デメリット⑤:甘いもの抑制効果はいまひとつ

私は生理前、以上に食欲がわく。特に甘いもの。

これもPMSの一種だと思っていたので、ピルによる抑制を期待したのだが…

意外と効果がない。。泣

 

結論:結局いいのか、わるいのか!?

まとめてみると、メリット3つに対し、デメリットが5つと、デメリットの方が多いレビューとなってしまった。。

しかし、メリット①(気分落ち込みの解消)とメリット②(肌荒れの解消)が私にとってはかなり大きいメリットだったので、

これからも続けていきたい。

ただ、妊娠は望んでいるので、いつかは漢方に切り替えなきゃなあ。

漢方のほうも、病院行ったらレビューします。

 

 

 

中学生の時に親が再婚した

12才の時に両親が離婚して、14才の時に母が再婚して義理の父と暮らすことになった。

 

そういう話を人にすると、気を遣われて話が終わるか、逆に好奇心から色々聞かれて嫌な思いをすることが(特に学生時代は)多かったので、義父との関係を言葉にすることは少なかった。

しかしそれは同時に言語化を怠っていたということでもある。

私も年齢を重ね、家を出て結婚をし、新たに「家族」を作ることになった立場として、この機会に、自分の元の家族を振り返ってみたい。

 

義父は私が14才の時に新しい「父」として我が家に迎えられたが、「父」としてみることができているかというと難しい。

 

私には、12才の時まで一緒に暮らしていた血のつながった父が一応存在していて、両親の離婚直前までは普通の親子の関係と同じように普通にかわいがってもらっていた。

私が小さい時、実父は私と一緒にお風呂に入ってくれたし、一緒に寝てくれた。小学校に上がってからは勉強や自転車の漕ぎ方を教えてくれて、私がうまくできると自分のことのように喜んでくれた。

 

そんな実父の記憶があったから、中学生という多感な時期に家に突然来たおっさんを「父親」と思うことは難しく、違和感しかなかった。

というと、義父との仲が悪かったように感じるかもしれないが、義父はとても穏やかな人で、怒ることが少ない人だったから、衝突することは少なかった。

 

ただ、私にとって義父はあくまで、「母の夫」であって、それ以上でもそれ以下でもない。

母がいうには、義父も離婚歴があったとか、実は血のつながった娘がいるとか、過去にはいろいろあったらしいが、その話を義父に直接聞くことはしなかった。

実の娘でもない私が詳しく聞くのは、義父のプライベートに深く入り込んでしまう気がして、なんだか申し訳なかったし、そもそも義父の過去にあんまり興味もなかったからだ。

 

基本的に義父と私は二人きりで話したり行動したりすることが少なかった。母を介してしか、義父とは関係が保てないような気がしていた。極端な話、母が今死んだら義父との関係は終わると思っていた。

だから、10代のころは「お母さんは厳しいけどお父さんは優しいから好きなの」とか「お母さんに内緒でお父さんにお小遣いもらった」とか父親との関係を母親を介さない、自分と一対一のものとして話す友達が羨ましくて仕方なかった。

 

そんな関係のまま、私は大学を卒業をして、就職をした。家を出て、一人暮らしも始めた。丸3年たったころ、結婚をし、夫と同居と始めた。

 

夫とは2年半付き合ってからの結婚で、ときめきとかドキドキという恋愛感情が風化してからの結婚だったが、生活をともにし、一緒にいる時間が長くなると、恋人時代よりも更に会話は減った。

一緒の空間にいるけれど、違うことをしている時間が増えた。

不思議なことに、見つめ合ってお互いのことを話し続けていた付き合いたてのころよりなぜかすごく安心した。

これが、「家族になる」ことなのだな、と思った。

 

その安心感をもって、デジャビュ的に湧きあがった記憶があった。

浪人して後がない、二度目の大学受験を控えた1月。予備校の授業もすべて終わり、私は家で勉強を続けていた。母は仕事、妹は学校、昼間家にいるのは、私と、家で仕事をしていた義父だけだった。

昼の12時が近くなると、私の部屋のドアをノックし「ごはん作るけど食べるかい」と義父が聞く。

うん、と返事をして、リビングにおりると、あるのはいつも冷凍牛丼か、カップ麺。

またこれか~と思いながら食卓について、テレビをつける。

映ったのは「笑っていいとも!」。

最近話題の芸人のボケを見て、どはっと笑う。家で勉強ばかりで刺激に飢えているから余計に面白く感じる。

ふと横を見ると義父もとなりで、適当に作った冷凍牛丼だかカップ麺を食べながら、ウケている。

「やっぱりこの芸人面白いよねえ」という私のつぶやきに、そうだねえ、と義父がまだ笑いが残っている声で、返す。

13時を過ぎていいとも!が終わるとテレビを消して私は部屋に戻って勉強を再開する。義父も仕事に戻る。

そんな生活が、受験が終わるまで、毎日続いた。

何を話す、相談する訳じゃないけれど、ほんの1時間もない時間なのだけれど、穏やかであたたかな時間。

予備校で友達と話しながら食べる昼食も、いい息抜きにはなったと思うが、受験直前にはなぜか、義父と「いいとも!」、を見ている方が私には落ち着いた。

 

結婚して、夫と家族になったな、と感じた瞬間、巡ったのはそんな記憶だった。

確かに義父のことは今でも「父」とは思えない。義父としても私のことを「娘」と認めてくれているかは微妙なところだ。

でも、あのとき私たちが「家族」として成立していたことは間違いない。

あんな淡泊で単調で刺激のない昼食の時間を、あたたかい記憶として感じ、夫という新たな家族に安心を感じた時に思い出したのは、「家族」だったからに他ならない。

 

再婚家庭は、子供と義父母との関係が悪くて壊れることも多いときく。

現に私の中学校時代のクラスメイトは、母が再婚した義父とうまくいかず、家出した。

そのお義父さんは、授業参観にもよくきていたし、宿題も見てくれると聞いていたから、私も含めた周りの人間はいいお義父さんだと思っていた。

だけど、彼女にとっては違ったらしい。

「父親でもないくせに、父親ぶるのがうざい」

と彼女はよく漏らしていた。

 

母の夫だからといってイコール父なわけではないのだ。

やはり、幼少期に一緒にいたかどうかは大きいと思うから、「父親像」を演じるという一時的な努力で簡単に父になれるわけじゃない。

それでも時間をかければ、互いのことを思いやれば「家族」になることは可能である。

そんな意識の改革が、新しい家族の形が問われる現代にはさらに必要な気がする。

 

 

 

 

 

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という幻想

10年ぶりに夏目漱石の「こころ」を読んだ。

 

 

 

 

最後に読んだのは高校卒業直前の春休みだっただろうか。

読書というのは同じ本でも読む時期によって異なる感想を抱くものだというが、この10年の間に恋愛を経験して結婚をしたことで、恋愛を知らなかった高校時代とは、また違った感情が湧き、新鮮な気持ちで楽しめた。

 

全編の感想はまた別に置くとして、以下の小説の一節が気になったので今回はそれについて考えてみたい。

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」

この台詞、ネット上で「夏目漱石の名言」として取り上げられてたり、頭悪そうなアイドルが座右の銘としてあげたりしているのだが、勘違いも甚だしい。

この先生の一言が言葉の矢となり、先生の親友であったKは自殺したのだ。

Kは医者になれという養家の反対を押し切り、宗教哲学の勉強を続けている男で、意志の力で自分を律することが生きがいであるようなストイックな人物だった。

そんなKが先生の片思いの相手、お嬢さんを好きになり、それを知った先生は、Kを心変わりさせるべく、この言葉を発し、Kのことを追い詰めるのである。そしてKは自殺した。

だから、この一部を切り取って名言だなんだと言っている人は小説を読んでないと告白しているようなものなのだ。

私の彼らに対する憤りは別にして、重要なのは、切り取ってみれば座右の銘にもなりそうな名言にも感じるであろうこの言葉が、小説内では人を殺すまでに至った凶器になってしまっているということだ。

 

「何事にも向上心を持って上を目指すべき」という成長至上主義は、小さなころから私たちに刷り込まれている価値観であり、社会に出てからもそれを当然のこととしている風潮が特に現代社会では強い。

 

しかし、果たして本当にそうだろうか。

 

就活生時代、周りの友人たちが外銀外コン!財務省、外務省!と鼻息を荒く就活に精を出す中、私はなかなかやる気が出なくて、でも彼らたちに負けたくなくて、焦っていた時期があった。

「せっかく親にいい教育を受ける権利をもらえたのだから、頑張っていい企業に就職しなければならない。そして女性でも結婚後も出産後も働かなければならない。上にいかなければならない。でも頑張れないよ、どうしよう」

と私は当時付き合っていた彼氏に相談したら、次のように彼は言った。

「人間、上に行くために生きてるんじゃないんだよ、幸せになるために生きてるんだよ。だから、頑張れないんだったら頑張らなくていいんだよ。」

彼は大学院への進学を考えていたから、私の気持ちなんてわからない、だからこんな頭の中お花畑なことが言えるんだ、と彼に反発しながらも、気が張っていた気持ちは少し収まった。

社会人になり仕事をしはじめて、あまり自分が競争社会とかストイック精神とかに向いていない人間であると気づくといった、ちょっとした挫折を味わったあとだと、彼の言ったことはやはり正しかったと改めて感じる。

逆にあの時、彼が何らかの理由で私に悪意を持って、意図的に私を傷つけるがために、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言ったらどうなっていただろうか。Kのように自殺するまではいかなくても、回復するために時間がかかるほど打ちのめされていたことは想像に難くない。

 

人間は「意思の力を養った強い人」になるために生きているわけではない。「幸せ」になるために生きているのである。

だから、Kのようにお嬢さんへの恋心に惑わされるたり、成果を出さなければならない仕事で頑張れなくても、決して悲観することはないはずだ。

 

漱石の時代以上に成長至上主義に陥っている現代だからこそ、そこから敢えて外れてみる、という心の余裕を持ちたい、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

セクハラは女性差別だとかいう問題じゃない

狛江市の市長がセクハラ問題で疑惑をかけられている。

テレビを見るたびああ、またか、との印象である。

昨年末から#MeToo運動が盛んになり、ネット上でははあちゅうが有名クリエイターのセクハラを暴露したのが結構話題になったと思ったら、春には財務省事務次官のセクハラ問題が更に大きくとりあげられ、世間一般的に話題になる回数が多くなっているよう。

Twitter上ではフェミニストvs男尊女卑保守派の終わらない論争が続き、実社会でも将来加害者たちのような社会的地位まで上り詰めるであろうエリートサラリーマンたちはそんなこと言ってどうせイケメンなら許すんだろ、もうセクハラの境界線とか考えるのだるいから定義を決めてよと嘆いている。

 

私は女性だが、幸いにも女性だからという理由で明確な差別を受けたことはないため(もちろん生きづらさを感じたことは山ほどあるが)、セクハラ問題についは完全なフェミニスト寄りの主張を持つには至らない。しかし一方で、セクハラニュースについては無視できず、ニュースを見るたびに言いようのない心地悪さ、気持ち悪さを感じる。

 

というのも、「おれ、偉いんだから人の気持ち考えず何してもいいよね」という傲慢さ、精神的な未熟さに嫌悪感を感じるのである。

それは対女性に限らず、男性部下に怒鳴り散らす男性上司にもあてはまる。

また場合によっては「偉いんだから」が「忙しんだから」とか「余裕がないんだから」に変わったりするわけだが、いずれにせよ、いい年の大人がその程度の精神的発達しか遂げていないことに驚きを隠せず、キモっとつい反応してしまうのである。

 

と偉そうに言ってみたものの私にもそんな彼らの片鱗はあるのかもしれない。例えば、先日女性の先輩に、「男性の後輩に彼女の有無聞くのもセクハラになるらしい」と聞かれドキッとした。飲み会の席で、自分では単なる後輩イジリだと思って発した、うっかりとした発言に対し嫌がっている後輩もいるかもしれない、と思った。

うっかりとした、とは書いたものの、その時の私の発言に悪意がなかったといえば嘘になる。僅かではあれ、一瞬ちょっと嫌なことを言ってしまおうという攻撃心がその時の私には確かにあった。

ではなぜ、そんな攻撃心を持つに至ったのか、とよくよく振り返り考えてみると、私も過去に同じイジリを先輩から受けたことがあり、またそのイジリに「我慢した」経験があるからだ。「わたしも同じことをされたのだから、若手は同じ目に合わないと不公平だ」という心理から私は攻撃心を後輩に向けていた。

 

今セクハラ加害者と言われている人たちもそういう思いがあったのではないだろうか。

セクハラではないにしろ、上司に理不尽に怒られたり怒鳴られたり、、「偉い人にやられたけれど、自分は下だから逆らえなかった」というそういった過去の負の経験が、偉くなった時に、別の誰かに噴出する、それがセクハラ、パワハラの根底にはあるのだと思う。彼らからすれば、なぜ昔の人は見過ごされたのに、自分たちは許されないのか、と余計に不公平を感じるのだろうが、負の連鎖はどこかで断ち切らなければならない。今がまさにそういう時代だということだ。

 

ではそれを次の世代に連鎖させないためにはどうすればいいのか。

それは怒りを持続させることなく、その場その場で怒りを精算することである。

その方法は人によって違うだろう。倫理的には、許すことがいいとされてるけどそんなの人によっては難しいだろうから、上司に逆らって自分の思いをぶつける、でもいいし、日記に書いて怒りを昇華させるでも、友達に愚痴を言って発散するでもよいから、その件について自分の中でもやつくのはその場で終わらせなければならない。

金持ちだろうが、社会的地位があろうが、自分がやられて嫌だったことを弱者に対して行うことがないように、自分なりの精算方法を身につけたいものである。

(ちなみに私は公開するしないに限らず文章に落とし込む昇華方法が合っている)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

26歳女子が痔になって病院いったはなし

くだらない話で恐縮なのだが、痔になって病院にいった。結構恥ずかしい経験談だったから人に話すことで忘れたいのだが、恥ずかしすぎてリアルな友達には話せないのでブログに書くことにする(このブログ、閲覧数も少ないし誰も見ないことを祈る。

 

出会い〜浪人時代編〜

私は大学浪人時代から痔を発症してた。当時受験生で、1日10時間ほど机に向かっていたことを考えると仕方のない話である。(なぜまわりの受験生が発症しなかったのか不思議でならない。みんな隠していたのだろうか)

症状としては、肛門の痒み、排便時の出血などなど。

辛いことは辛いのだが、やはり病院にいくのは恥ずかしい。

 

近くのかかりつけのおじいちゃん先生の前で痔の症状なんて説明できない!と病院に行くのを躊躇するのみならず、薬局でボラギノールを買うのも恥ずかしがってできなかった若き日のわたしは、仕方なく父にボラギノールを買ってもらうことで痒みと痛みを凌いでいた。(おじいちゃん先生への通院は恥ずかしいのに、父に頼むのは恥ずかしくないんかい!というツッコミはなしにしていただきたい)

 

しかし父が当時買っていたのは軟膏タイプ。↓こんなの。

【指定第2類医薬品】ボラギノールA軟膏 20g

【指定第2類医薬品】ボラギノールA軟膏 20g

 

ボラギノールには申し訳ないがこんなちょっと切れちゃったの♡程度の軽症の痔向けのものではわたしの痔は治るはずがない。慰め程度である。

もうこれ使うくらいならワセリン塗った方がマシじゃないか!!と苦しんでいたのだが、大学生になり机に向かう時間が減ると、次第と症状は治まってきた。

 

再開〜社会人編〜

学生時代後期は、勉強時間の短さもあいまりすっかり痔のことも忘れていたのだが、社会人になり奴と再開を果たすことになる。

わたしの仕事内容は、残業続きのオフィスワーク。仕事に集中すると2ー3時間は立つことはない。

次第にまた浪人時代に苦しんだ痒み、痛みが襲ってくるようになった。

 

家を出て、両親とは別居するようになったので、もう父にボラギノールは頼めない。

遂に薬局にてボラギノールを買わなくてはいけない時が来たのか…!?と一瞬絶望しかけたものの、そこはネット社会の現代。Amazonでポチれば、簡単に、しかも中身がわからないように届けてくれる(エッチなDVD買うみたいな表現だ)。お陰でわたしはまたボラギノールのお世話になることになった。

 

しかし、症状は一向に緩和されない。痒いし、痛い。人前でお尻の穴を掻こうにも掻けないし、人前じゃなくてもお尻の穴というのは掻くのが難しいのでストレスが溜まる。(穴、というのは掻くのに適していないのだ)

加えて肛門の近くにイボっぽいものを発見。これってもしかしてイボ痔も発症してないか…と絶望する。

かといって、対処法もわからないのでとにかくイボにボラギノールを塗りたくる日々であった。

しかし、症状は全く緩和されず、痒みと痛みは募るばかり。夜も痒くて眠れないほどになり、毎日「痔 市販薬」でググり効果てきめんそうな市販薬を探したが、市販薬では限界があり医師の診療を受けることがどのページにも書かれている。やはり病院にいくしかないのか。

 

今まで恥ずかしさのあまり逃げてきた病院であるが、わたしも26歳、社会人3年目、もう浪人時代のあの頃とはメンタルの強さが違う。恥ずかしさを乗り越えるタフネスはついている。

病院に行くのは一瞬の恥、行かないのは一生の痒み、である。

こうしてわたしは痔の発症から6年、遂に医者に行くのを決意したのである。

 

いざ病院へ

とはいっても痔の場合、何科にかかればいいのか。

ネットで調べるに肛門科、というがあるらしい。

早速、「〇〇駅(最寄駅) 肛門科」でググる。内科や消化器科と一緒にやっている医院が近くにあるようだ。

問題は医者の性別だが、レビューを見るに男女どちらもいるらしい。わざわざ女のわたしを男性医師に通すことはしまいだろう、と一安心。会社をいつもより早く退社し、病院へ向かった。 

 

初体験

平日の午後6時過ぎ、内科も一緒になっている病院とのこともあり、マスクをした風邪とみられる患者が多い。

肛門科って行くだけで恥ずかしいと思っていたけれど、これなら風邪患者に紛れられる、やっぱり恥ずかしいってのは考えすぎだったかあ、と一息ついたとき、受付に名前を呼ばれた。

 

 

「今日はどうされました?」

え、ここで聞くの?聞いちゃうの?まわり20人くらい待ってる患者さんいるよ?

焦りのあまり冷や汗が出てくる。

しかし、26年生きてきたわたしはこういう時の対処法もわかっている。焦ってはいけない。

変に恥ずかしがらず、間を空けず、小さいが聞き返されない程度には聞こえる大きさで言葉を発する。

「あーあのちょっと痔になっちゃいまして」

言えた。めちゃくちゃ恥ずかしいが言えた。しかし、恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。心なしかまわりの患者が全員こちらを見ている気がする。

 

 

「今日は男の先生しかいないけど、いいですかねえ」

 

 

まじか。まじなのか。こんなにこちらが堂々と恥を忍んで言っているというのに、こんな仕打ちってあるのか。

しかし、ここで帰っても近くに他に医者はないし、痒みも痛みも治らない。仕事だってたくさん残ってたのに、わざわざ定時退社した意味もなくなる。

「あ、大丈夫です」

全然構わないといった口調で答える。だってわたし26歳。アラサーだからそんな小さなことは気にしないのだ。

 

しばらく待合室で待ったのち、処置室に通された。医師は50代の男性。父と同じくらいの年齢であろうか。恰幅のよく、落ち着いた医者っぽい感じの人だった。

「今日どうされました?」

受付で言ったはずなのに、話が通ってないようだ。なんで2回も言わなきゃいけないんだ。

しかしここは社会人らしくビジネスライクに症状を説明する。

あー恥ずかしながら、痔になってしまいまして。痒くて夜も眠れません。

「なるほど。いつごろからですか?」

「えーと、結構むかし…2年くらい前からでしょうか。」

思い切り嘘をついた。ほんとは6年前からなのに。6年も痔に苦しんだ女、と思われたくなくて、下手な(しかもあまり意味のない)嘘をついてしまった。

 

「わかりました、とりあえずみてみましょう、ベッドに寝て下着を下ろしてください」

 

 

おお、遂にきたか、この時が…緊張の一瞬である。

気まずさもあってか、医師とわたしが2人にならないよう、奥から看護師さんもくるようだ。

よかった、男性医師が診るといっても女性がサポートしてくれるなら恥ずかしくない…と思ったのも束の間。

 

 

 

看護師さん、男…

 

 

 

わたしはどちらかというとリベラルな方なので男性看護師さんとかイマドキでいいじゃん!といつもなら肯定するタイプである。いつもなら。が、なんで、この、タイミング。しかも若い。わたしより若い。

今だけは、今だけは、40代くらいのおばちゃん看護婦さんがいい!と叫びそうになった。

しかし、ここは看護師も仕事。わたしが心中でそんな叫びをしている中淡々とベッドメイキングをし、タオルをわたしの腰にかける。

わたしも恥ずかしさをおしころしてカーテンをしめ、タオルの下でスカートとストッキングをおろす。

そしてお尻(の穴)の部位のみカーテンに突き出す。

男性医師がカーテンをあけ、タオルの中からわたしのお尻の穴だけを淡々と診療する。

お尻の穴を見られている、と考えると頭が爆発しそうなので、わたしは標本、標本なのだ、と心の中で繰り返すことで平常心を保った。

「あーこれはかなりやっちゃってるねえ、治ったり悪化したりを繰り返してるみたい。中にイボがたくさんあるよ。」

 

その淡々さが、意識してるのはわたしだけ、という感じがして恥ずかしさが2倍なのである。

 

 

「あとこの外側のイボはね、気になるかもしれないけど完治した痔だから。あなたの痛みの原因は中の痔ね」

!?そーなの!?じゃあわたしが毎日イボに丹念にボラギノールを塗り込んでたのも意味がなかったのか。イボに尽くした時間とお金返して欲しいわ。

 

 

 

結局わたしの痔は軟膏タイプでは治らない、中の痔、らしくて、注入タイプの薬を処方された。

あとは、便秘を治すのが先決とのこで、整腸剤も。

そのおかげか、最近はだいぶ痛みも痒みもましになってきた。

 

※医者曰く痔の治療は、薬以上に便秘を治すことだそう。

 

警戒すべきは…

病院からの帰り道、無駄に恥ずかしがって疲れたので誰かに話を聞いて欲しくて彼氏に電話した(近すぎる存在ゆえにか彼に対してはわたしは恥ずかしさをなぜか持たない)。

笑われたが、話題を共有することで少し恥ずかしさも減った。その日の夕飯を一緒に食べることを約束して電話を切る。

 

 

 30分後、待ち合わせ場所に現れた彼は開口1番こう言った。

 

「いやー職場で携帯見ながら笑いこらえてたら、どーしたんですかって事務職のお姉さんに聞かれたから、彼女が痔になったんですって言っちゃったよ〜〜」

 

わたしは漸く気がついた。男性医師より男性看護師より、デリカシーのない彼氏の方が一億倍警戒しなければならない、ということを、、

 

 

 

「ZERO to ONE」感想~無駄な競争ゲームに乗るべきではない~

普段ビジネス本は読まないし、読んでも感銘を受けることは少ない私だが、

仕事関連でピーターティールについて知らなきゃならないことになり、

3年ほど前に話題になったZero to Oneを読んだ。

 

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

 

 

エモさを追求する女子っぽいところがあるので

ビジネス本にはあまり感化されないたちであるが、

 

「競争とはイデオロギーだ」

 

この一文は突き刺さった。

 

ペイパルの創業者として有名な著者のピーターティールはスタンフォード大を優秀な成績で卒業、

その後進学したロースクールでも最高裁法務次官を目指し、努力を続けるものの、

あと少しのところで、法務次官の任官を逃す。

 

これまでずっと競争に勝ち続けてきたところ、

一番最後の「競争」に負けたティールだが、

その後ペイパルを創業し、起業家として有名になる。

 

ペイパル売却後、ティールはロースクール時代の友人に出会い、こう言われることになる。

 

「ピーター、あのとき、事務次官にならなくてよかったな」

 

つまり一つの競争に勝ったとしても、その競争に価値がなければ、

その分無駄な年月を費やしてしまうだけという話。

 

この本の中での本題は、イデオロギーとしての競争はビジネスでも発生することであり、

どの競争を選ぶのか考えないと、結果としてビジネスは成功しないよ、という話であるが、、

少し本題からずれて、考えてみると、確かに「のるべき競争」を間違えると

人生楽しくないことが多いのではないか。

 

自分の人生を振り返ってみてもそうだ。

 

私は小さいころから負けず嫌いで、人にバカにされることがとにかく嫌いだった。

競争に勝ったときにエクスタシーを感じることは少ないかわりに、

 

「負けてバカにされることだけはないように」

 

というモチベーションで努力してきた。

 

どんなにつらい、やめたい、と思った時でも、

この競争に勝てば、バカにはされない、安心できる、

と自分に言い聞かせていれば頑張れた。

 

 

でも、その競争自体に何の意味があっただろうか。

今振り返ると、別に何も意味はない。

当時の私は気が付かなかったけれど、そもそも好きなことでもないし、好きなことをやるための努力でもなかったから、

あとで振り返って残るのは虚しさのみだった。

 

私がやっていたことは、「努力」ではなく、ただの「我慢」だった。

 

だけどそれって私だけが、陥っていることだろうか。

周りを見渡せば昔の私のように不要な競争に巻き込まれている人の多いこと。

 

学歴自慢から、勤めている会社自慢から、資格自慢から、、

 

自慢することは、その人が頑張った証拠だから決して悪いことではない。

ただ、自慢するならその能力を自慢するべきであって(自分は●●ができる、とか)、

競争に勝ったこと自体(入った学校や会社がすごいとか、その中で出世をした、とか)を自慢するのは少し違和感がある。

 

努力をするなら、自分がかっこいい!と思う能力を得たり人物像に近づくために行うべきなんだよなあ。

 

私もなりたい自分像になるべく、自分なりの努力軸を見つけたいもの、である。