生きづらくても生き続ける~バリキャリとゆるふわのハザマ~

ADHD(グレーゾーン)、HSP(HSS型)、遅延性フードアレルギーに苦しむ27歳こじらせ女子がもがきながらライフハックを提案する場

【読書感想】佐渡島庸平「we are loney,but not alone」

宇宙兄弟」や、「ドラゴン桜」を売った敏腕編集者として有名な佐渡島庸平氏。

コルクラボというオンラインサロン企画でも有名で、ひそかに気になっていたので、早速新刊を手に取ってみる。

 

 

漠然としか、佐渡島氏のことを知らなかったので、編集内容の話かと思ったら、要は現代のコミュニティ運営の本である。

 

一昔前、社会は「カクカクした階段状の世界」だった。

ほしいモノは近くにある商店から選ばなければならないし、公共交通機関もあるものに合わせて移動していた。

 

コミュニティについても、学校や会社など社会が用意したものに入って順応していく能力があれば、それで十分だった。

 

しかしながら、インターネットの発達により、それが大きく変化した。

インターネットは自分の好きなときに自分の好きなものにアクセスできる

「なめらかな世界」を作った。

 

ほしいものはamazonを開けばピンポイントで手に入るし、Uberをつかえば、移動したいときに行きたい場所へ行ける。

 

コミュニティも同様で、一つの地域で見れば少ない人数だったとしても、全体の総数でいれば結構な数となるような特定の分野に関心のある人々、をまとめることができるようになった。

 

#Metoo運動やLGBTコミュニティの興隆が好例である。

 

本書では、そのような時代だからこそ、そのコミュニティ作りがひとつの「経済圏」になるとし、有効なコミュニティ作りについて、内容が展開される。

簡単にまとめると、「安全、安心」を担保してコミュニティを居場所として確立していこう、という話である。

 

「コミュニティ作り」については私は経験が浅いので、ここでのコメントは控えるが、

面白いと思ったのはむしろ議論の土台になっている第1章の現代の孤独論である。

 

インターネットという「なめらかな世界」が生まれる一方で、社会は相変わらず画一的な側面があり、学校や会社など、一つの価値観に合わせなければならないコミュニティもまだ多く存在する。

 

だからこそ、「マジョリティの孤独」があるのではないかと著者は主張する。

 

マジョリティの孤独、形容矛盾に思える言葉だが、どういうことか。

それはつまり、インターネットいう「なめらかな世界」から漏れてしまった人のことを指す。

学生時代は盛んだったFacebookTwitterでの発信について、社会人になり会社に所属するようになると、個人の発言の「炎上」を恐れ、SNSで発信をすることは少なくなる。

そのように、昔ながらのコミュニティによるインターネットへの断絶により、社会のマジョリティと呼ばれている人たちこそ「孤独」を感じることが多いのではないか、と著者はいうのである。

これは確かに一理ある。現に私の勤めている会社の人で、SNSで積極的に発信をしている人は少ない。

つまり彼らの居場所は、依然会社や学校などの決められているコミュニティに合わせることで保たれているのである。

そこにフィットできる人はいいだろうが、フィットできず、かと言ってネットとのつながりを持たない人たちはより孤独を感じるのではないか。

 

これを読んだとき、最近読んだソーシャルキャピタルについての文献を思い出した。

老人の健康度合いを比較したとき、多くの水平型コミュニティに入っている人のほうが、属するコミュニティが少ない人に比べ、うつ病の発症率や転倒率が低い。

そのようなコミュニティによる絆は「ソーシャルキャピタル」と呼ばれ、健康を決定する一要因になっている、という内容だ。

 

一昔まえの社会では、社会人にとっては会社が「ソーシャルキャピタル」として機能していた。

社員旅行や社内運動会で親睦をはかり、長時間労働で連帯感もあった。

確かに合わせなければいけない、という点では「かくかくした」コミュニティではあったものの、その許容範囲は広かった。

 

無数のコミュニティが存在するインターネットが広がった現代では、様々な人とつながることができ、自分の所属するコミュニティを自由に選択できるという点は確かに魅力的だ。

しかし、一方でその「自由」には責任が伴う。

合わないコミュニティに無理に合わせる必要はない一方で、コミュニティを自分の力で見つけ出し選択する力が必要になった。

つまり、従来型社会でうまく適応できた人たち、と自分の力で自分の世界を見つけ仲間を見つけてきた人たち、に社会は2分化され、

その間に取り残された人たち、つまり従来型コミュニティにはうまくなじめないけれど新しい世界も見つけられない人たち、にとっては、より孤独を感じる社会構造となっているのである。

 

前述の通り、その「孤独」は「ソーシャルキャピタルの欠如」として健康をむしばむ可能性がある。

 

そんな中で、新しいコミュニティを見つけるにはどうしたらいいのか。

それは、「自分らしさ」を常に意識することではないか。

自分の主張、好きなもの、といったものに敏感になる。

社会が、周りの人が、どうだから、ではなく、「自分がどう思うか」に焦点を当てて行動する。

そして、その価値観に会うコミュニティを積極的に探す。

それを探す時間、費用は投資だと思い、積極的に足を運んでみる。

 

そのように行動していく先に、「孤独(lonely)」だけれども「独りぼっちじゃない(not alone)」状況があるのではないか。

 

自戒の意味も含め、強く感じた。

 

 

 

 

宇宙兄弟(1) (モーニングコミックス)

宇宙兄弟(1) (モーニングコミックス)