生きづらくても生き続ける~バリキャリとゆるふわのハザマ~

ADHD(グレーゾーン)、HSP(HSS型)、遅延性フードアレルギーに苦しむ27歳こじらせ女子がもがきながらライフハックを提案する場

中学生の時に親が再婚した

12才の時に両親が離婚して、14才の時に母が再婚して義理の父と暮らすことになった。

 

そういう話を人にすると、気を遣われて話が終わるか、逆に好奇心から色々聞かれて嫌な思いをすることが(特に学生時代は)多かったので、義父との関係を言葉にすることは少なかった。

しかしそれは同時に言語化を怠っていたということでもある。

私も年齢を重ね、家を出て結婚をし、新たに「家族」を作ることになった立場として、この機会に、自分の元の家族を振り返ってみたい。

 

義父は私が14才の時に新しい「父」として我が家に迎えられたが、「父」としてみることができているかというと難しい。

 

私には、12才の時まで一緒に暮らしていた血のつながった父が一応存在していて、両親の離婚直前までは普通の親子の関係と同じように普通にかわいがってもらっていた。

私が小さい時、実父は私と一緒にお風呂に入ってくれたし、一緒に寝てくれた。小学校に上がってからは勉強や自転車の漕ぎ方を教えてくれて、私がうまくできると自分のことのように喜んでくれた。

 

そんな実父の記憶があったから、中学生という多感な時期に家に突然来たおっさんを「父親」と思うことは難しく、違和感しかなかった。

というと、義父との仲が悪かったように感じるかもしれないが、義父はとても穏やかな人で、怒ることが少ない人だったから、衝突することは少なかった。

 

ただ、私にとって義父はあくまで、「母の夫」であって、それ以上でもそれ以下でもない。

母がいうには、義父も離婚歴があったとか、実は血のつながった娘がいるとか、過去にはいろいろあったらしいが、その話を義父に直接聞くことはしなかった。

実の娘でもない私が詳しく聞くのは、義父のプライベートに深く入り込んでしまう気がして、なんだか申し訳なかったし、そもそも義父の過去にあんまり興味もなかったからだ。

 

基本的に義父と私は二人きりで話したり行動したりすることが少なかった。母を介してしか、義父とは関係が保てないような気がしていた。極端な話、母が今死んだら義父との関係は終わると思っていた。

だから、10代のころは「お母さんは厳しいけどお父さんは優しいから好きなの」とか「お母さんに内緒でお父さんにお小遣いもらった」とか父親との関係を母親を介さない、自分と一対一のものとして話す友達が羨ましくて仕方なかった。

 

そんな関係のまま、私は大学を卒業をして、就職をした。家を出て、一人暮らしも始めた。丸3年たったころ、結婚をし、夫と同居と始めた。

 

夫とは2年半付き合ってからの結婚で、ときめきとかドキドキという恋愛感情が風化してからの結婚だったが、生活をともにし、一緒にいる時間が長くなると、恋人時代よりも更に会話は減った。

一緒の空間にいるけれど、違うことをしている時間が増えた。

不思議なことに、見つめ合ってお互いのことを話し続けていた付き合いたてのころよりなぜかすごく安心した。

これが、「家族になる」ことなのだな、と思った。

 

その安心感をもって、デジャビュ的に湧きあがった記憶があった。

浪人して後がない、二度目の大学受験を控えた1月。予備校の授業もすべて終わり、私は家で勉強を続けていた。母は仕事、妹は学校、昼間家にいるのは、私と、家で仕事をしていた義父だけだった。

昼の12時が近くなると、私の部屋のドアをノックし「ごはん作るけど食べるかい」と義父が聞く。

うん、と返事をして、リビングにおりると、あるのはいつも冷凍牛丼か、カップ麺。

またこれか~と思いながら食卓について、テレビをつける。

映ったのは「笑っていいとも!」。

最近話題の芸人のボケを見て、どはっと笑う。家で勉強ばかりで刺激に飢えているから余計に面白く感じる。

ふと横を見ると義父もとなりで、適当に作った冷凍牛丼だかカップ麺を食べながら、ウケている。

「やっぱりこの芸人面白いよねえ」という私のつぶやきに、そうだねえ、と義父がまだ笑いが残っている声で、返す。

13時を過ぎていいとも!が終わるとテレビを消して私は部屋に戻って勉強を再開する。義父も仕事に戻る。

そんな生活が、受験が終わるまで、毎日続いた。

何を話す、相談する訳じゃないけれど、ほんの1時間もない時間なのだけれど、穏やかであたたかな時間。

予備校で友達と話しながら食べる昼食も、いい息抜きにはなったと思うが、受験直前にはなぜか、義父と「いいとも!」、を見ている方が私には落ち着いた。

 

結婚して、夫と家族になったな、と感じた瞬間、巡ったのはそんな記憶だった。

確かに義父のことは今でも「父」とは思えない。義父としても私のことを「娘」と認めてくれているかは微妙なところだ。

でも、あのとき私たちが「家族」として成立していたことは間違いない。

あんな淡泊で単調で刺激のない昼食の時間を、あたたかい記憶として感じ、夫という新たな家族に安心を感じた時に思い出したのは、「家族」だったからに他ならない。

 

再婚家庭は、子供と義父母との関係が悪くて壊れることも多いときく。

現に私の中学校時代のクラスメイトは、母が再婚した義父とうまくいかず、家出した。

そのお義父さんは、授業参観にもよくきていたし、宿題も見てくれると聞いていたから、私も含めた周りの人間はいいお義父さんだと思っていた。

だけど、彼女にとっては違ったらしい。

「父親でもないくせに、父親ぶるのがうざい」

と彼女はよく漏らしていた。

 

母の夫だからといってイコール父なわけではないのだ。

やはり、幼少期に一緒にいたかどうかは大きいと思うから、「父親像」を演じるという一時的な努力で簡単に父になれるわけじゃない。

それでも時間をかければ、互いのことを思いやれば「家族」になることは可能である。

そんな意識の改革が、新しい家族の形が問われる現代にはさらに必要な気がする。